010311

先日からトップで紹介していた『黒猫樹海』に行ってきた。
ヤナセ氏が、プロデュースなるものをやるって云う舞踏だ。
じつは舞踏なんていうものは、ちゃんとは観たことがない。前衛舞踏だとか、暗黒舞踏だとか、男も女も全身の毛を剃って、白く塗って踊るあれである。

桐生の煉瓦蔵、有鄰館は、以前ヤナセ氏が個展をやった雰囲気のいいところである。雰囲気は相変わらず素晴らしい。しかし、、、寒かったのだ、、、、いやまじ、ホントに寒かったのだ、、、。
受付で小さい簡易カイロを2コくれたのだけど、意味なし、、、(笑)。
1時間半弱、、ガタガタ震えて観てきました。

最初に書いたけど舞踏というものは、よくわからない。っていうか、観たことがない。
演劇でもミュージカルでもないんだよね。
なので、ここに書くことは、アートとして観た、ボクの感想である。

舞台モノなので、ついつい劇として、テーマとか、ストーリーとかを追ってしまう。。。。
パンフレットにはキャスティングは入ったけれど、粗筋とかはなかった。ってボクがパンフレットのデザインをしたので、粗筋は知っていたのだけれどね(笑)。
粗筋はこうだ。
黒猫と白猫がいる。お互い己を高めるため(?)黒猫は山を目指し、白猫は海を目指す。
黒猫は樹海に揉まれ惑わされ、白猫は波狼に翻弄され、やがてお互いは辿り着く、、、さて、その果てには、、、、。
てな感じである。

粗筋も知らずに観た人は、何を感じ取れただろうか、、、。けっこう謎ではある。
聞くところによると、舞踏業界では、先にネタバレするようなストーリなどを紹介するのはカッコワルイコトなんだそうである。
ほとんどが初めて舞台に立つ人でもあり、踏りに関しては、申し訳ないが心打たれるというほどではなかった。
ただ、相当練習を積んだんだろうなぁ、、というのは感じ取れた。
黒猫の下品さは秀逸である。踏りの中に時折含まれるマイケルジャンクソンのスリラーのパロディなどの振りも楽しめる。
衣装は、シンプルではあるが美しく、程好い表現の補助になっていた。
あと、全編に低く流れる高橋ヨウカイさんの音楽が素晴らしかった。適切な感じで自然に入ってくる音楽に救われていた部分はかなりあるんじゃないだろうか。

舞踏という冠がついているけれど、これは、舞踏という枠にはめなくても良いものなのでは?と思った。
テーマを表現するために舞踏というジャンルの表現方法を使ったのであろう。

表現において、根底に流れているのは、美意識だと思う。あるいは愛とも言い換えられるかもしれないけれど、とりあえず作者にとっての美意識が優先される。それを高めるために、表現の手段を探す。
しかし、作品を制作していくうちに、表現手段がだんだん優先され、根底に流れる美意識が薄れてしまうことがある。これはとてもマズイ状態だ。
今回の舞台は、テーマの表現と、表現の舞踏とがもうひとつ合致していなかったように思う。舞踏でイクというアイデアは、新鮮だったのだろうけれど、舞踏の魅力と演劇性のギャップをどう埋めていくか、、、、、が、次回の課題か。
まぁ、一見の価値があるのには違いがないのだけれどね。

打ち上げは、部活のような感じで、ちょっとうらやましかった。僕らは、ずいぶん歳を重ねてしまったようだ。
酒を差し入れ、乾杯につきあって、早々に退散してきたのだった(笑)。

次回東京公演では、より一層のパワーアップが観られるだろうか、、、、。
ヤナセ氏の腹も、もっと絞まるだろうか(笑)。いや、ボクなんかよりはずっと絞まっているのだ。とても40過ぎているとは見えない(笑)。